「社長、それはすべて経営者の責任だと想うからです」
22歳から経営というものに携わってきた中で、特に最近つくづく身に染みて感じるのはすべて経営者が起因になっているということです。一見、「自責」などという言葉は使い古してきたかのようにも想っておりましたが、言葉を本当の意味で理解したのはこの2,3年だと理解しています。特にどんなところで、それを感じるようになったのか、少しだけ記述させていただきます。
▶なぜ経営者が自分の責任をあまりにも理解していないと想うのか?
「デジタルシフト的なもの」に携わるようになったのは、起業当初からでした。初めはSNS運用から始まり、インターネット広告の運用代行、そこからAIの事業活用・システム開発支援に移行していきました。私自身は事業の延長線上でマーケティングのコンサルティング、戦略立案をやらせていただくことも増えました。新規事業のマーケティング戦略を全部立てる経験が増えたのも自身にとっては大きい経験だったと考えますし、AI関係で増えた業務システム開発に携わる経験も、現代経営におけるテクノロジーとの向き合い方の典型的なで普遍的な問題を感じる機会となりました。
その中で、売上規模で言えば8000億円規模の企業から1億にも満たない企業まで幅広くご支援させていただいてきました。いろいろな企業、そしてその経営者をこの目で見てきた中で、よい企業の経営者とそうでない企業の経営者の違いを自分なりに見出し始めていきました。それを一言でまとめると「べき論で確信的に動き、その動きを改善し続けているかどうか」、これに尽きるなと想います。
よい経営者だな、と想う方は明確な理想を持っている、という言葉だけとればなんとなくそうだよね、と感じる方も多いと想うのですが、まさにこの理想が口だけなのかどうか、そこまで見極められるようになってくると大きな違いとして見えてくるものだと感じます。
過去、いろいろなことがありました。学生の時になんて器の大きい、素敵な理念を持った人なのだ、と感じた経営者が多額の負債を抱えて倒産しました。潰れる前から、いろいろな悪い噂を聞くようになっており、潰れたと聴いた時もそんなに驚きはしませんでした。しいて言えば、自分がいかに表面的に人のことを見ていたのかということを反省した、というところです。他にも、ぼやぼやと自分のことだけを考え、戦略も戦術もない行き当たりばったりの経営をしている人間も数多く見ましたし、そのほとんどが口では偉そうなことを言っていたり、そういう見せ方をしてわけがわかっていない新卒の学生を会社に入れて不幸にしていたり、目も当てられない現実に辟易としました。利益のことしか頭になく、ただただ表面的なコミュニケーションをとる方にうんざりもしました。ただ、それで終われなかったのは、自分もそのよい経営者には分類できないな、ということを明確に認識しかたらです。
私にも「理想」はありましたが、それに向けた確信的な動きというのが起業当初はもちろん、その後も長くできていなかったと実感したのです。それは事業だけではなく、人材育成をはじめとした社内のこと、財務、すべて行き当たりばったりでした。そして、それを都度正当化していた自分がいたこともまた嘆きの原因に他なりません。周囲の経営者を反面教師にすることで、自身の不出来を何よりも目の当たりにせざるを得なかったのです。
しかし、別のことにも気づきました。周囲にはありがたいことに素晴らしい経営者の方もたくさんいらっしゃいます。その方々は失敗はしつつも、明確な理想に対して、最善だと意思決定した内容に対し、自信を持って実行し、失敗があればそれを理想に対して最適だと考えられる代替案に改善し、再度自信を持って実行されている。
CDO(最高デジタル責任者)としての業務に当たった約2年の間に一番コミットした会社は不動産会社だったのですが、そこの社長はまさにそういった素晴らしい経営者の方々と同じように見えました。少し頑固なところはありましたし(経営者なんて皆別々に頑固だとは想いますが。笑)、明確に細かい施策を選定できるような知識や経験は持っていません。しかし、その明確な理想に対し、臨機応変に「その時点で一番やるべきだ、適切だと想えること」を全力で実行する組織にしていました。それが5年で40億の規模まで成長させた要因だと感じました。私もそうしてきたつもりでした。しかし、自分自身の意思決定は「べき論」ではなく、自身の独りよがりや主観が入り混じった論理であったなぁ、と振り返っています。
今私たちが支援できる領域において、私は各社の課題やそれに対して確信犯で行うべき施策がかなり明瞭に見通すことができる、そう言い切れます。なぜ、それができるようになったかと言うと、それができるくらいの知見を蓄積してきたから、それだけに過ぎません。そして、そういったことができない内容については、そういったことができる人の力を借りればいい、とそう考えています。
よくない企業の経営者は、その自分が確信犯で行えない、即ち責任がとれない内容について、例えばデジタルシフト関連の事象について、闇雲であっても自社の人財に指示し、その責任を自社の人財になすりつけたりしている、それも無意識に。これを無責任と言わず何と言うのか。わかっていないことを、闇雲に進めて、それで人財のせいにする、そんなことがあっていいはずがありません。ですから、基本的に最終的に責任がある経営者に私たちは少し厳しいです。
ですが一方で、悪気はない、とも想うのです。知らない、だけなのです。ですから、それを確信的に進めることができる、道を示唆できる、私たちの力が必要なはずなのです。デジタルというまだまだ新しい力を使って、あなたの会社に最適なチェンジマネジメントを行うためには。
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